くだらない話のようだが、
健康にも影響を与える話なのでお伝えします。
日頃から気になっていたことがある、
全くの他人との「距離感」だ。
この「距離感」に、
異常に差を感じる時がある。
例えば、
在来線の電車で席に座る時、
どんなに空いていてもすぐ前とか、
真横ではないにしても近くに座る人がいる。
目的駅の階段の位置とかで、
その場所が便利な場合もあるとは思うが、
それにしても自分の感覚からはほど遠く、
不快感を得てしまう。
あるいは、
銀行のATMでもそうだ、
ガラガラの20台以上のATMがあるような銀行で、
数人しか利用者がいないにもかかわらず、
後から来てぼくの隣を使い始める人がいる。
不思議で仕方がないのだ。
そう、
ぼくは、
この自分の安心領域が「広い」のだと思う。
特に面識のない他人が、
ぼくからみて配慮のない距離感に入り込んでくると、
相当な不快感を感じている。
「パーソナルスペース」
と言うのだとかつて聴いた覚えのある言葉をざっと調べてみると、
この「スペース」が「狭い」人ほど、
人付き合いが良く、
ストレスが少ない、
と言うように良い印象に感じることが書いてある。
この「スペース」の話は、
恋愛の関係によく用いられているのかな、
だったら、
「狭い」人のほうが「モテる」ということになり、
「狭い」ほうが良い、
との認識になる。
まあ、
ぼくが「広い」からと言って、
これらの説に反論するつもりとか、
良いとか悪いとか言うつもりはない(笑)
ただ、
これらには明らかな「違い」がある。
逆の視点からの話もある。
ぼくは6月から事務所スペースを借りたのだが、
仕切りや壁のないがらんとした30平米弱のスペースだ。
この部屋で、
施術の時と、
推拿の指導の時は、
基本的に1対1で2人、
事務仕事や作業、
クリエイティブな仕事をしている時はいつも1人だ。
非常に快適だ、
寂しいと言うことはない。
この部屋に、
基本的にベッドと椅子が3つ、
このベッドを机代わりに使っている、
と言った何もない状態から活用を始めた。
親しい患者さんから、
こちらの事務所に招いて施術を始めたのだが、
患者さん相手に施術を始めてみると、
どうも落ち着かない、
と言うことに気付いた。
ぼく一人だと快適なのに(笑)
これも、
「常識的」な人からすれば当たり前なのだろうが、
「広い」と気持ちがいい、
と言う単純なことではなく、
「広い」と落ち着かない人のほうが多いのだ。
それからパーテーションを購入したり、
カーテンで仕切ったりして、
その時にいるスペースを狭くしていった。
結果、
患者さんは落ち着くようになったのだ。
当たり前か?
実は、
地形的な理由から、
日本人は「狭い」方が「安心」「安全」
だと言うことが身に染みているようだ。
人々が、
「協力」して「寄り添って」きたのは、
狭い地形と、
四季で移り変わりのある気候風土で、
農耕を主として来た暮らしぶりと、
深い関係がある。
おそらく、
広大な土地を有する、
大陸地域に生まれ育った民族とは、
大きな意識の違いがあるだろう。
しかしてそこでだ、
時間の感覚も、
情報の伝達の速度も、
のんびりゆっくりだった、
具体的な生活感覚は、
現在大きく変わってきた。
この三次元の形のある物質文明社会で、
時間や情報の概念が益々速度と量を増していく中、
抽象的なイメージの範疇でさえ、
空間の密度は濃く狭くなっていっている、
というのは皆さんも実感しているだろう。
実際に、
「空間」は、
この三次元においては、
『物質的』にも『精神的』にも、
「狭く」なり続けているのだ。
それなのに、
未だに「狭い」空間に押し込まれることに「安心」「安全」感覚を持ち、
自らも、他者も、
その思い込みからはみ出さないように、
心を「狭く」しながら生きているのだ。
「学校」も「会社」も、
「家庭」も「国」も、
かも知れない。
第一次世界大戦までの日本人を振り返ってみても、
戦後の経済復興の頃を思い出してもそうだが、
日本人はものすごいパワーを内在している。
個々にだ。
しかし、
歴史的に上下関係の縦割り社会を良しとしてきたぼくたちは、
「個」の個性を表立って自由に発揮することに慣れていない。
「統率」の元の「不自由」な「狭さ」に慣れて、
その「安心」「安全」領域を「快適」としてきた想い癖があるのだ。
この「不自由」な「狭さ」に甘んじるのは、
人間の本質とは違うものだ。
人間の本質は『自由』、
『制限』のない空間、
『宇宙』であるから。
この、
本質的ではない、
我々がつくり固めた「我」、
「自我」は、
『宇宙』の意思に反しているのだ。
自然の意思、
『天』と『地』の存在に意を向けない『人』は、
「病」に冒されるのは自明のことだ。
「病」は自分に向けられると、
「肉体」も「精神」も蝕む、
抵抗し続けると、
自らを死に向かわせる。
外、他に向けられると、
「闘争」そして「戦争」に向かう。
「個」の「狭い想念」
本質から遠ざかった意識が、
「個人」の中で耐え切れず「病」を生み出し、
「他人」への「攻撃性」を「発揮」して「発散」し始めると、
「いじめ」「パワハラ」「セクハラ」「暴力」「殺人」
に向かう。
そして、
「家庭」や「クラス」や「学校」や「会社」や「地域社会」で、
内に向かって「発散」していたエネルギーに、
「不満足」を感じた「個」が増していくと「集団」化して、
「国内」での闘争を始める。
そして、
「国内」での闘争に虚しさを感じ始めると、
「国外」に意識は向かい「戦争」を引き起こす。
「不満足」に生きるのは無知であり、
教養のなさをひけらかす、
恥ずかしい事だと知った方が良い。
どんなに小さな共同体においても、
「個」を「満足」させて生きていて、
初めて寄り添うことが出来る、
とあらためてインストールしなおした方がいいと思う。
自分に足りないものを補うために、
奪うために他の存在がいる訳ではない、
と言うことを肝に銘じて欲しい。
「個」だけで成立する『宇宙』を持っていてこそ、
「他」との『融合』を望むことが出来ると思う。
そこに、
「肉体的」にも「精神的」にも、
『健全』で『健康』な関係が育まれる。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義
『天と地と人』では、
推拿施術と推拿の個別指導を行っています。
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