2019年9月1日日曜日

【自由と喜びを求めて】あなたが『自己実現』に踏み出さず満足出来ない結果に甘んじる理由

ぼくは、
はっきり言って「出来る」人間ではない、
当時の学歴社会、
今の競争社会においては早々にリタイアを決めた、
マイノリティーだ。

中学一年生までは、
ごく普通の生徒だっと思う。

普通に勉強をして、
普通に運動もして、
普通に遊んで、
普通にケンカもした。

友達との関係で悩んだりもしたが、
相手の気持ちや立場も知らずに優位に立った気になって、
「いじめ」をやっていたとも思う。

人生を大きく変えた出来事が、
1978年3月からの数か月間で起こった、
ターニングポイントだ。

中学1年生の3学期、
関西に住んでいたぼくは、
父親の東京への転勤が決まり、
4月に引っ越しして転校することになっていた。

その3月にクラスメートと六甲山に行って、
大腿骨を骨折する大怪我をした、
神戸の病院に3か月以上入院することになる。

この入院生活中に、
制度に束縛されない時間の中で『音楽』と出逢い、
『自由』と『喜び』を「体感」することが出来た。

学校に行く、
と言う当たり前のことをする必要がなく、
一日中音楽を聴いていられた。

ぼくの『自己実現』の「指標」は、
この時に知った「体感」だと思う。

それから7月の初めに退院し、
一学期が終わる数日前に、
東京の中学校に転校した。

ぼくが知った『自由』と『喜び』の状態は、
夏休みが過ぎ、
2学期が始まり、
文化祭が終わる10月まで続いた。

全てが順調だった。

だが、
文化祭が終わり、
クラスに目的がなくなった頃に、
今思うと「波動」が急激に下がっていった。

標的になったぼくは、
表立った暴力などはなかったが、
見えない「言葉の暴力」に苦しめられることになる。

それも、
今思うと、
その「波動」に同調してしまったのだ。

これも、
今はっきり答えがあって、
『自由』と『喜び』をぼくは知っていたが、
『愛』と『感謝』を与えることを知らなかった。

ちょうどこの頃、
ギターとギターを教えてくれる友人に出逢い、
『音楽』=『自由』『喜び』にのめり込み、
一年後の3年生の文化祭では、
軽音のステージに立ち拍手喝采を浴びた。

でも未だ、
『愛』と『感謝』を与える、
と言う境地には程遠かった。

偏差値レベルだと三流高校に行くことになり、
高校二年の時におおよそ二~三流大学にさえ行けるかどうかの現状を知った時に、
当時の学歴偏重のムードだった社会において、
そのままのレールに乗っかることに絶望を感じて、
そのルートをリタイアすることに決めた。

つまり、
学校をやめた。

今思うと、
そのレールに乗っかったルートの先に、
『自由』と『喜び』は感じられなかった。

だから、
ぼくは完全に道を外れることを選んだが、
生きることを諦めたわけではなかった。

ぼくの『自己実現』のチャレンジは、
その後も繰り返し繰り返し、
へこたれながらも続いている。

社会人として変革するにあたり、
一つの大きな出逢いは『妻』とのもの。

そしてもう一つは『推拿(すいな)』と。

そしてもう一つは『気功』だ。




以前にも書いたが、
世の中には大きく2種類のタイプがいると思う、
『物質志向型』と『精神志向型』だ。

これには持って生まれた遺伝子レベルのものもあるだろうし、
生い立ちも大きく関わっているようだ。

人間の『本質』は『愛』と『感謝』なので、
『物質志向型』であれいずれは『精神』の追求に入る、
というのが真理だ。

これは今のぼくの主観なのだけど、
これで『愛』『感謝』『自由』『喜び』
の領域に入ることが出来るのだと思う。

では、
『精神志向型』の人間はどうだろうか?

このタイプの多くは、
『物質的』なものに固執しないがために、
「経済力」が希薄なままということも大いにあるように思う。

これも今思うことなのだが、
「経済力」は『愛』と『感謝』の実践だと思う。
この力を得るために、
相応な『能力』の蓄積が必要になる。

そして『能力』は生まれ持ったものだけではなく、
実践、努力の結果得られるものでもある。

求めて実践したから得られるのである。

『能力』がないと、
他に対して利益を提供することができない、
それでは『愛』と『感謝』を実践しているとは言えないのだ。

『能力』を得るには、
現状に甘んじていてはいけない、
現状に甘んじるのは安全だ、
安心で楽だ。

だから、
その方が生きる上で最良なのだ、
と勘違いしている人がいかにも多い。

いや、
まあそれでも良いのだろうが、
『精神』の完成レベルには程遠い。

その「安心」「安全」の日々の結果は、
心から満足のいくものだろうか?

あなたがもしその状況に甘んじている現状だとすると、
この文章を読んでいるとすると、
満足できない結果に悩んでいらっしゃるかも知れない。

「安心」「安全」のレベルでは、
「病」を抱えているままの状態でいることもある。

とりあえずそのままでいる方が、
「安心」「安全」なのだ。

何故なのだろう?

それは、
脳の使い方から明らかなのだ。

「安心」「安全」は、
動物的な古い脳の働きなのだ、
「体」を維持する本能なのだ。

だから悪くないのだが、
しかし、
爬虫類でも使っている同じ働きの領域なのだ。

とにかく、
自分の「個」の生命維持のみ、
それだけを守っているのだ。

そこには、
『愛』だの『感謝』だの『自由』だの『喜び』だのという、
概念は全く必要ない、
人間だけが発達させることのできた、
『大脳新皮質』を全く活用していないのだ。

「肉体」だけの「感覚」で生命維持しているだけ、
というのが科学的な説明だ。


「安心」「安全」だが、
満足の得られない領域から脱出するには、
勇気が必要だ。

「現状維持」を良しとする古い脳は、
意識の90パーセントほども占めていると言われる。

残りの領域を意識的に働かせて、
「危険」を承知で「行動」を起こさないと、
『自由』と『喜び』は得られないのだ。

そして、
その「危険」を冒して「行動」して、
自分が求めた『結果』を得ることが、
その積み重ねが自分への信頼につながり、
『自由』と『喜び』の領域を脳の中で拡張させ、
『愛』と『感謝』を産んでいくのだ。


実は、
ぼくの人生の上で、
経済能力に変革をもたらせてくれた『推拿』と『気功』を、
修得するためにも相応の金額の投資をしてきた。

そういえば、
『推拿』と『気功』だけではなく、
これらのことを経済活動で実践する上で必要な、
『能力開発』にも投資をしてきている。

『気功』『心理学』『医学』『哲学』の分野では、
現在でも自己投資をして成長を促している。

そして得られる『自己成長』は、
他の人に与えることになり、
そこには『愛』や『感謝』の領域がある。

ここ最近、
2度目の独立開業にあたり、
新たな設備投資や固定費も増え、
この『自己投資』にかける費用をケチろうとしていた節があった。

正直に結果を言うと、
その「マインド」は「停滞」を引き寄せた。

『代価の先払い』の法則は、
はっきりここでも作用していたのだ。

経済の巡りの教訓を、
今回も身をもって知ることなった。

「結果」に「失敗」はない、
出てくる結果は全て『学び』だ、
『チャレンジ』し続けることで、
すべての高い波動を感じることが出来る。

確かである、
とお伝えしたい。


最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義

『天と地と人』では、
推拿施術と推拿の個別指導を行っています。
天と地と人ホームページ
をご覧ください。





0 件のコメント:

コメントを投稿