ぼくは、
はっきり言って「出来る」人間ではない、
当時の学歴社会、
今の競争社会においては早々にリタイアを決めた、
マイノリティーだ。
中学一年生までは、
ごく普通の生徒だっと思う。
普通に勉強をして、
普通に運動もして、
普通に遊んで、
普通にケンカもした。
友達との関係で悩んだりもしたが、
相手の気持ちや立場も知らずに優位に立った気になって、
「いじめ」をやっていたとも思う。
人生を大きく変えた出来事が、
1978年3月からの数か月間で起こった、
ターニングポイントだ。
中学1年生の3学期、
関西に住んでいたぼくは、
父親の東京への転勤が決まり、
4月に引っ越しして転校することになっていた。
その3月にクラスメートと六甲山に行って、
大腿骨を骨折する大怪我をした、
神戸の病院に3か月以上入院することになる。
この入院生活中に、
制度に束縛されない時間の中で『音楽』と出逢い、
『自由』と『喜び』を「体感」することが出来た。
学校に行く、
と言う当たり前のことをする必要がなく、
一日中音楽を聴いていられた。
ぼくの『自己実現』の「指標」は、
この時に知った「体感」だと思う。
それから7月の初めに退院し、
一学期が終わる数日前に、
東京の中学校に転校した。
ぼくが知った『自由』と『喜び』の状態は、
夏休みが過ぎ、
2学期が始まり、
文化祭が終わる10月まで続いた。
全てが順調だった。
だが、
文化祭が終わり、
クラスに目的がなくなった頃に、
今思うと「波動」が急激に下がっていった。
標的になったぼくは、
表立った暴力などはなかったが、
見えない「言葉の暴力」に苦しめられることになる。
それも、
今思うと、
その「波動」に同調してしまったのだ。
これも、
今はっきり答えがあって、
『自由』と『喜び』をぼくは知っていたが、
『愛』と『感謝』を与えることを知らなかった。
ちょうどこの頃、
ギターとギターを教えてくれる友人に出逢い、
『音楽』=『自由』『喜び』にのめり込み、
一年後の3年生の文化祭では、
軽音のステージに立ち拍手喝采を浴びた。
でも未だ、
『愛』と『感謝』を与える、
と言う境地には程遠かった。
偏差値レベルだと三流高校に行くことになり、
高校二年の時におおよそ二~三流大学にさえ行けるかどうかの現状を知った時に、
当時の学歴偏重のムードだった社会において、
そのままのレールに乗っかることに絶望を感じて、
そのルートをリタイアすることに決めた。
つまり、
学校をやめた。
今思うと、
そのレールに乗っかったルートの先に、
『自由』と『喜び』は感じられなかった。
だから、
ぼくは完全に道を外れることを選んだが、
生きることを諦めたわけではなかった。
ぼくの『自己実現』のチャレンジは、
その後も繰り返し繰り返し、
へこたれながらも続いている。
社会人として変革するにあたり、
一つの大きな出逢いは『妻』とのもの。
そしてもう一つは『推拿(すいな)』と。
そしてもう一つは『気功』だ。
以前にも書いたが、
世の中には大きく2種類のタイプがいると思う、
『物質志向型』と『精神志向型』だ。
これには持って生まれた遺伝子レベルのものもあるだろうし、
生い立ちも大きく関わっているようだ。
人間の『本質』は『愛』と『感謝』なので、
『物質志向型』であれいずれは『精神』の追求に入る、
というのが真理だ。
これは今のぼくの主観なのだけど、
これで『愛』『感謝』『自由』『喜び』
の領域に入ることが出来るのだと思う。
では、
『精神志向型』の人間はどうだろうか?
このタイプの多くは、
『物質的』なものに固執しないがために、
「経済力」が希薄なままということも大いにあるように思う。
これも今思うことなのだが、
「経済力」は『愛』と『感謝』の実践だと思う。
この力を得るために、
相応な『能力』の蓄積が必要になる。
そして『能力』は生まれ持ったものだけではなく、
実践、努力の結果得られるものでもある。
求めて実践したから得られるのである。
『能力』がないと、
他に対して利益を提供することができない、
それでは『愛』と『感謝』を実践しているとは言えないのだ。
『能力』を得るには、
現状に甘んじていてはいけない、
現状に甘んじるのは安全だ、
安心で楽だ。
だから、
その方が生きる上で最良なのだ、
と勘違いしている人がいかにも多い。
いや、
まあそれでも良いのだろうが、
『精神』の完成レベルには程遠い。
その「安心」「安全」の日々の結果は、
心から満足のいくものだろうか?
あなたがもしその状況に甘んじている現状だとすると、
この文章を読んでいるとすると、
満足できない結果に悩んでいらっしゃるかも知れない。
「安心」「安全」のレベルでは、
「病」を抱えているままの状態でいることもある。
とりあえずそのままでいる方が、
「安心」「安全」なのだ。
何故なのだろう?
それは、
脳の使い方から明らかなのだ。
「安心」「安全」は、
動物的な古い脳の働きなのだ、
「体」を維持する本能なのだ。
だから悪くないのだが、
しかし、
爬虫類でも使っている同じ働きの領域なのだ。
とにかく、
自分の「個」の生命維持のみ、
それだけを守っているのだ。
そこには、
『愛』だの『感謝』だの『自由』だの『喜び』だのという、
概念は全く必要ない、
人間だけが発達させることのできた、
『大脳新皮質』を全く活用していないのだ。
「肉体」だけの「感覚」で生命維持しているだけ、
というのが科学的な説明だ。
「安心」「安全」だが、
満足の得られない領域から脱出するには、
勇気が必要だ。
「現状維持」を良しとする古い脳は、
意識の90パーセントほども占めていると言われる。
残りの領域を意識的に働かせて、
「危険」を承知で「行動」を起こさないと、
『自由』と『喜び』は得られないのだ。
そして、
その「危険」を冒して「行動」して、
自分が求めた『結果』を得ることが、
その積み重ねが自分への信頼につながり、
『自由』と『喜び』の領域を脳の中で拡張させ、
『愛』と『感謝』を産んでいくのだ。
実は、
ぼくの人生の上で、
経済能力に変革をもたらせてくれた『推拿』と『気功』を、
修得するためにも相応の金額の投資をしてきた。
そういえば、
『推拿』と『気功』だけではなく、
これらのことを経済活動で実践する上で必要な、
『能力開発』にも投資をしてきている。
『気功』『心理学』『医学』『哲学』の分野では、
現在でも自己投資をして成長を促している。
そして得られる『自己成長』は、
他の人に与えることになり、
そこには『愛』や『感謝』の領域がある。
ここ最近、
2度目の独立開業にあたり、
新たな設備投資や固定費も増え、
この『自己投資』にかける費用をケチろうとしていた節があった。
正直に結果を言うと、
その「マインド」は「停滞」を引き寄せた。
『代価の先払い』の法則は、
はっきりここでも作用していたのだ。
経済の巡りの教訓を、
今回も身をもって知ることなった。
「結果」に「失敗」はない、
出てくる結果は全て『学び』だ、
『チャレンジ』し続けることで、
すべての高い波動を感じることが出来る。
確かである、
とお伝えしたい。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義
『天と地と人』では、
推拿施術と推拿の個別指導を行っています。
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をご覧ください。
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