様々な悩みを抱えるものだ。
悩みがない人間などいない、
たとえ生涯困らない金品や不動産を得られたとしても、
たとえ不老不死が確定したとしても、
ある境地にたどり着いていなければ、
悩みはなくならない。
その境地にたどり着いても、
そこには様々な試練が現れて、
その境地が揺るがないことを試すだろう。
その心の状態を『不動心』という。
『不動心』の真の意味を知っている人がどのくらいいるだろう、
ぼくはこの言葉の意味を腹の底から知ったのはごく最近だ。
つまり、
日々の体験から腑に落ちた、
という経験を積んだ。
『不動心』とは全く動かない状態のことではない、
物事に対して臨機応変に冷静沈着に対応できる心の状態、
という。
対応できるのだから、
心自体は動いているはずだ。
仏や神になったら、
全く動じないのかも知れない。
でも人間である以上、
火であぶられたり、
矢で射されたら、
全く動じないわけにはいかないだろう。
「熱っ!!!」とか「痛っ!!!」とか、
一瞬は心乱れるだろう。
しかし、
この一瞬、乱れたとしても、
すぐに『平常心』に戻れる達人と言われる人間はいるかも知れない。
つまり、
これを『不動心』という。
だから、
この一瞬が一秒なのか、
一分なのか三分でも十分でも、
一時間でもいいかもしれない。
『平常心』に戻れる時間が早ければ早いほど、
人は幸せでいられると思う。
この『平常心』の心の場所がわかっていて、
『不動心』があれば、
心はかなり安定しているだろう。
心が安定している、
と言うことは幸せである、
だろう。
金品を得たり、
他人より秀でたり、
広大な土地を所有したり、
何千何万人を従えたり、支配したり、
全地球を手にれても、
心が安定するだろうか?
それほどのものを手にした上で、
不老不死になったら、
心は安定するだろうか?
幸せでいつづけられるだろうか?
『平常心』の境地をぼくは知っている。
いや、
もちろんぼくだけが知っているわけではなく、
多くの今生きている人たちは知っている。
本やインターネットでも、
そのことについてたくさん述べられている。
そういうことをセミナーなどで伝えている人もいる。
もちろん、
宗教家も説いているだろう。
文物として知っていても、
体得しているとは限らない。
『知識』として『知って』いても、
『知恵』として『できる』かはまた次元が違うのだ。
その境地を、
次元とか波動とか周波数とかで表わしているが、
言語という概念で理解すると、
『愛』と『感謝』になる。
なあんだ、
そんなことか、
と思う人もいるだろうが、
ここまで読んでいてくれたらきっと縁がある。
『愛』『感謝』の状態に心がいると、
全く動じることはないし、
それ以外の「次元」「概念」「意識」「波動」「波長」に影響されない。
というか、
全てに影響を与えるのが、
『愛』と『感謝』の心の状態なのだ。
だから、
『愛』『感謝』の状態でいたら、
不老不死でも幸せかも知れない。
逆に、
『愛』『感謝』以外の心の次元で、
不老不死だと地獄ではないか?
あ、
だから地獄なのか…(笑)
だから、
そこにたどり着く旅をしているのか。
そして、
自分がたどり着いたら、
他の人にその場所、
心の居場所を教える旅をするのか。
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