縁があって運よくお陰様でこれまでやってこれた。
ぼくにとっての『推拿』の価値は相当なものである、
お金と時間と労力の投資を、
惜しまずに苦労しながらもやってきた結果だ。
ただし、
この「価値」とは、
多くの人にとって『相対的』なものであって、
人それぞれにその「価値観」は様々で、
それは仕方のないものだ。
ぼくにとっての推拿の「価値」は『絶対的』なものだ。
実はこの、
『苦労して手に入れたもの』=『価値』
というのは、
自分にとって計り知れない「財産」となっている、
と最近つくづく思う。
そして、
この『価値』の大きさは、
与えたものによって付加されたものではない。
受けとったものの器によって、
より多くの『価値』を加えていくのである。
そして、
あなたに蓄積されたあなたの器であなたが苦労して積み上げた『財産』を、
「わたしが与えたものであるから返し続けろ!」
などというとんでもない何とも滑稽で時代錯誤で未熟な教祖様がいるとしたら、
もしもあなたの周りにそのうような支配的かつ高慢な幼児性の強い権力者がいるのなら、
そのようなものは、
現代経済社会と旧態依然とした主従関係を混同した愚か者に他ならない、
天が代わってお仕置きする日も近いので充分に安心して欲しい。
「天と地と人」である、
天と地から与えられたものを得て、
支配的に高慢になる輩など、
10万回生まれ変わった方が良い、
次元の低い世界で。
話はそれたが、
ぼくはその『財産』を、
『価値』のあるものとして社会に還元していきたい。
ということは、
『価値』を高く提供したい、
ということである。
ということは、
高い『価値』で受けとってくれる人に、
受けとってもらえるようにしたいのだ。
それは、
自分を愛しているから、
に他ならない。
高い『価値』を持つ自分を、
高く『評価』してくれる人たちと出逢わせたいからだ。
そういう出逢いと時間を積み上げていきたい。
本日、
一件の問い合わせがあり、
実直そうな有国家資格者の男性であったが、
『推拿』を修得したいとのことで、
当院でアルバイトをしたい、
とのこと。
まず、
『推拿』の指導を受け、
その上で、
こちらとの条件が合えば、
働いていただくことも出来るかも知れない、
との旨を伝えた。
結果を要約すると、
「学費」がかかるならできない、
とのこと。
このあたりの勘違い人間を相手にすると、
実際に時間をとられるのと共に、
精神的にがっかりしてしまい、
その修復に余分な労力を使わねばならず、
窃盗被害に会ったような気分になる。
おそらくは、
国家資格を取るための学費には、
数百万円をかけており、
それ以上のお金は出せない、
ということなのだろうが、
こちらはチェーン店のレストランではない、
誰にでも出来るマニュアルをバイト感覚の人に提供などしていない。
ご本人は気付いていないかも知れないが、
言うまでもなく『代価の先払い』とは、
それだけの『価値』を見出しているから、
それ相応の『代価』を先に差し出して、
その『価値』あるものを手に入れる、
ということだ。
「国家資格」にはそれだけの『価値』を見出していて、
それほどの『価値』を感じないものを手に入れるのに、
「アルバイト」をしながら手に入る、
と思っているのだ。
ぼくの『価値』の高い『推拿』に対してである…
ここに『価値提供』の憂いを一瞬間感じてしまう、
切り替えよう。
「普及」とは「量産」であり、
「質より量」を産まなくてはならない、
と聴いたことがある。
ぼくの考える『推拿の日本全国普及』は、
「質より量」の「チェーン展開」ではないようだ、
はっきりした、
明快だ。
『餃子の王将』のチェーン展開の話を聴いたことがある、
「増やそうとはしていない、育ったら働く場として結果的に増える」
のだそうだ。
飲食業界も『質』のレベルは『相対的』なものだろうが、
『餃子の王将』としての『質』は『絶対的』なものがあるのだ。
だから、
職人を育てているのだと思う、
職人が育つ場所を提供しているのだと思う。
そして、
一人前の職人が一人前に働くとなると、
その職人の新たな拠点が必要となり、
結果的に店舗が増えることになる、
と言うことだと思う。
これからの時代は、
『個』が生かされる時代になる、
とぼくも思う。
自分もそうありたいし、
周りの今はぼくを必要としてくれる人たちそれぞれも、
『個性』豊かに自由に活躍して欲しい、
と心から思う。
その『愛・感謝・自由』と、
『経済的な豊かさ』を、
同時に実現する思考を巡らし、
願望を明確化し、
「真空」の「空間」を創造し、
それを物質化し現象化し実現化する。
これが、
一時的な「感情」でないとすれば、
『実現化』すると思う。
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