『愛』と『感謝』と『自由』
この領域が全てであり最高の状態である。
これは「真理」なのだが、
言葉では聴こえていても、
読めていても、
口に出して言えても…
本当に受け取れて、
実行し続けていられる人はどのくらいいるのだろう?
ぼくはどうやってこの領域に入ったのだろう、
自転車に乗れるようになったら、
どうやって乗れなかったのか思い出せない、
というのと同じ感じだ。
おそらくは、
このことを信じ、
「その領域、その状態で常にいたい!」
と思い、
それを行い続けたのだと思う。
「思う」
ということが重要だ、
その通りになるのだ。
この時、
思い出すのは、
様々な我慢、忍耐、屈辱を受け続けたと思う、
天から与えられる訓練なのだ。
そして自分にとって余分なもの、
『愛』と『感謝』とそして『自由』で在り続けるために、
不必要なものを採り去られていく。
たとえば、
「名誉」とか「地位」とか「安定」とかかな?
とにかく試される、
感じだ、
「それでもこの領域に入り続けたい?」
聴かれ続ける。
でも、
そこで「はい!」と答え実行すると、
『正解!』という答えが返ってくるのだ。
で、
それを続けていると、
ある時ふっと気づくのです、
『あ、これでいいのか』
ここに至るまでの、
試練の一つのエピソードをお話ししますね。
ある患者さんの話、
その患者さんはぼくが担当しているわけではないが、
師匠の患者さんで、
かなり高圧的で我儘な方だ。
ぼくが、
「愛と感謝の波動でい続ける」
と思い意識的に実行し始めた頃の頃で、
この経験を基にして確信が育ったと思う。
その日もその方は、
何かぼくの知らないところでご不満がおありになったようで、
少し離れたところにいるぼくにもそれが伝わってくるほどだった。
以前のぼくは、
相手の感情に引きずられてしまい、
相手の「不機嫌」や「不満」などの、
低い波動に同調して「不安定」な状態になることが度々でした。
その頃は、
どうやったらそこから抜け出せるのかわからなかった。
しかし、
この時は、
「愛と感謝の状態でいる」と決めていたのが、
初めて違いを生み出す現象に出くわしたのだ。
ぼくは少し離れたところで、
次の患者さんの準備を待っていたのだが、
不意にその「不満」さんが洗面所に行くために、
ぼくのほうへ近づいてきた。
ぼくはその頃、
その現場のある程度の責任者的な立場だったので、
何かその方にとって「問題」があった場合は、
クレームを浴びせられる経験も何度かあったのだが、
その時は変化が生じたのだ。
お互いを完全に意識し合う距離になっても、
ぼくのほうは心が動じず、
笑顔で「こんにちは」と挨拶ができたのだが、
その方の「イライラ」オーラが変化するのがわかるほど、
やや穏やかになって挨拶を返されたのだ。
この時ぼくは、
「『愛』と『感謝』が最高の波動なのだ」
と確信した。
それ以来、
この状態でいることで、
心が不安定になることがなく、
むしろ『不動心』状態に入る修行段階になった気がしている。
心の状態が身体に表れて、
それが現象化して病気や症状を生み出す。
だから、
『愛』と『感謝』の状態でいることをお薦めするし、
その状態にいない愚かさに気づいて欲しい、
と思う。
反論あるかな?
ま、どうでもいいけど。
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