あの頃「なりたかった自分」だろうか?
自分にこう問いかけて、
「うん、大丈夫」
と言える。
ただ、
もっともっとなりたい自分はあるけど、
今の自分も丁度いい。
数か月前、
今日の自分がどうやれば実現できるのか、
はっきりわかっている訳ではなかった。
中野のこの場所で、
この部屋で、
このようにブログを書いていて、
日々充実の中にいて、
自由でいて自己責任で生きている感覚を持てている。
具体的に、
このような現実をイメージできていたかというと、
ちょっと違うと思う。
「自由」とか「独立」とか「調和」とか「勇気」とか、
「愛」とか「感謝」とか、
いつもそういう言葉を元に、
どうやったらそれを実現できるか、
その状態で生きられるか、
ということは常に求めていた。
その中で具体的にその時にできる行動をして、
おそらく失敗しながら、
落胆しながら、
でも時々道が開かれて、
それが積みあがってここにたどり着いてきた。
思えば、
この数年で、
ぼくの中で変わったことの一つに、
『自分のことは自分で褒める』
と言うのがある。
これもまた、
「なあんだ、そんなことか」
と思われるかもしれないが、
皆さんの多くはこれができているだろうか?
それまでのぼくは、
やはり他人の評価を求めていた。
音楽をやっていても、
自分はこれでいい、
だけでは完結できなかった。
だけど、
商業音楽を追求していたわけではない、
明らかに自己表現の一つ、
芸術の範疇に入っていた。
それなのに、
他人から気に入られよう、
とか、
褒められよう、
とか、
憧れられよう、
とか思っていた。
だから、
おそらくいつでも不安だった。
推拿(すいな)に関しても同じ、
もちろん患者さんの反応は気にするべきだろうが、
施術者として必要な対応以上のものを求めていたかもしれない。
ややこしくなってきた。
推拿(すいな)に関しては、
明らかに師匠の評価が、
自分の求めるものの中に入っていた。
そこに隙があったと今は思う。
師匠の言葉や表情は、
いつもぼくを不安定にした。
これによって自分が不安定になっていたとしたら、
ぼくはかなりの外的コントローラーだな(笑)
この心の不安定感がばっちり手にも伝わり、
ぼくの推拿施術にも影響は多々あったと思う。
ある時、
ぼくは「自分のことは自分が褒める」ということを実践し始めた。
「なりたい自分」はあった、
そして、
その時々でそれをできるだけ明確にしていった。
この「なりたい自分」は、
自分の成長の度合いや、
現実の中での調整の中で、
変化しながら現象化してくるものだと思う。
ぼくも、
今ここに至る過程では、
実現しなかった出来事もあった。
当時はその計画が頓挫したことに、
ジワリとくる落胆を感じたのを覚えているが、
実は後になり、
この流れは失敗に終わることでの学びが多かった。
ぼくのこの人生を完成に向かわせるには、
これまで何度も出くわしてきた学びの一つだった。
子供の頃、
父から「お前は依頼心が強い」と言われていた。
当時は、責められている感覚はあったが、
何を言っているのかはわかっていなかった。
「依頼心」「依存心」
まさに、
いたるところでつまづいてきたテーマだった。
それを、
乗り越えてこなかったのだ。
師匠との関係も、
これを乗り越える学びのためだったと思う。
ぼくの人生は、
「完全な独立」を求めていた。
そして、
この時の渡りに船の一見有り難い計画は、
泡のように消えていった。
しかし、
この時のぼくには、
すでに強く求める「なりたい自分」があったのと、
自分で自分を褒め、認めるという習慣から、
自己肯定感が増していたので、
さらに自己実現に向かっていけたのだと思う。
ぼくの人生の第一の転機は、
中学二年生の時に転校した先で生まれて初めていじめにあった経験だ。
大きく性格が変わった、
人の言葉が気になった、
人の表情が気になった、
人の行動に敏感に反応するようになった。
そしてぼくは対人恐怖に陥り、
不安神経症を抱えるようになった。
今で言えば何かしらの病名がつくだろうな。
この時ぼくは、
その原因と結果を、
他者のせいにしていた。
転勤した父、
過保護な母、
いじめた同級生、
無頓着な担任教師。
そして、
ひ弱に生まれた自分、
と自分を客観的に責めていただろう。
今なら、
その時の自分にいくらでも伝えることがある、
気功を教えたいし、
推拿を薦めたい、
感情のコントロールや脳の使い方を教えたいし、
考え方を伝えてあげたい。
そして、
なにより、
それを日々の生活の中で実践して、
それが身につくようにコーチしたい。
人生には、
いい指導者が不可欠だ。
話を元に戻すと、
この中2のぼくに、
一番足りなかったのは、
「自分が自分を認める」
ということだろう。
「自分を認める」には「自分を自分で褒める」ことだ、
他人に褒めてもらうのを待つとか期待するのではない、
それでは自分を本当には認められない。
中2のぼくのようなどん底を味わっている人に伝えたい、
どのように伝わるかはわからないが、
「大丈夫」だということを伝えたい。
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