推拿の受講について一件の面談があったのだが、
あらためて自分の存在理由を確認させて戴いた感がある。
ぼくは正直、
推拿の指導者に褒められたことがない。
褒めるのが人を育てるにおいて、
良い事なのかどうかわからない。
ぼくも、
認められないからがんばってこれた、
という側面もあると思う。
しかし、
自分がどんな精神状態の時に、
学ぶことが好きになり、
向上心が増していき、
成長を感じられたかと言えば、
やはり自己肯定感が満たされた時、
であった事は間違いない。
今日の面談希望者は、
個別指導を望んでいらっしゃり、
複数の受講生での受講スタイルは好まない、
旨をもっておられた。
「出来る人、出来ない人の中で、
覚えの悪い自分は、自己概念が下がるから」
という主旨の事を言っておられた。
わかる、
ぼくも同感だ。
だからぼくは学校が嫌いだった、
集団生活を学ぶなら、
小学校か、
せいぜい義務教育の中学までで充分ではないか?
それ以上に学びたい学問を学ぶのなら、
その学びに特化したスタイルが望ましい、
と今でもそう思う。
(独断の持論だが、ぼくにとって高校は余分なものが多く中途半端だと思っている)
ぼくの推拿の学びは、
まず複数の受講生に交じっての、
勉強会に出ることで始まった。
しかし、
全くの素人のぼくにとって、
この勉強会からのスタートは、
その空気になじむという程度のものでしかなかった。
あの時、
ぼくにもし他に得意な事があったら、
とりあえずやり過ごして終わりになっていただろう。
当時の手帳を見ると、
受講して3か月目には、
すでに「弟子入り」を妄想し、
その後実際に志願に赴いている。
「毎日を推拿漬けにしなければ身に付かない」
そう思ったのをよく覚えている。
そして、
運良く縁があって、
ぼくは弟子入りすることが出来たが、
半年で100万円と言う高額の学費を支払ったにも関わらず、
マンツーマンで指導を受けることはほぼなかった。
「弟子入りとはそういうものか?」
と、
過ぎ行く時の中で迷子になったように感じ、
パニックを発症したこともあった。
妻に懇願してやっと承諾してもらい、
当時のぼくたちにとっては高額の投資だったので、
引き返すことも、
他の道を探すことも出来なかった。
まあ、
それが、
ぼくの精神を鍛えたとしたら、
素晴らしい指導だったのかも知れない。
だから、
ぼくは自分の余分な苦労は、
後進の人たちにはしなくていいと思っている。
そして、
力の入れ方を理解できずに、
力任せに指を使った結果、
親指は今でも第一関節が固まったままだ。
文字通り、
傷だらけになりながら、
わずかな情報を積み重ねていくしかなかった。
しかし、
そのお陰で今があるのは確かだ。
もちろん感謝している。
だから、
ぼくは自分が回り道をしてしか、
手に入れる事の出来なかった技術を、
本当に心から望んで欲している人には、
わかりやすくお伝えすることを生きがいとしている。
その人の人生が、
良い方向へ向かわれることに喜びを感じるからだと思う。
「学校」が好きな人はもちろん、
複数の人たちとの関わりの中で学ばれるのが最良だと思う。
何かしら、
ぼくのところへ集まる人には、
天が指し示す中心軸を求めている人たちのような気がする。
精神世界と物質世界、
ぼくたちは経済社会で学んだ三次元の世界から、
数段の次元を上げて肉体の施術を行わなければならない。
三次元の肉体への施術に行き詰まったり、
現状の施術に何かしらの疑問を持っているとしたら、
この言葉に何か響くものを感じるとしたら、
あなたはぼくたちが目指す『天に通じる施術』を望んでいるのかも知れない。
ぼくは、
自分が『推拿』の全てを知っているとは思っていない、
ぼくは日本人として中国から伝えて戴いた『推拿』を、
『ぼくの天に通じる推拿』を必要な人にお伝えしている。
そして、
もちろんそれを押し付けようとは思っていなくて、
『推拿』を『あなたの天に通じる』ように、
先に伝わった立場からお伝えする役目だと思っている。
元来、
『推拿』のような伝統手技の世界は、
「一子相伝」のように伝わるものなのだろう。
だから、
ぼくがどこまでその役目を果たせるかわからないが、
『天からの命』があるうちは、
日々精進し続け、
誠心誠意お伝えしていくつもりだ。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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天と地と人 すいなの信長正義
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