2019年11月10日日曜日

【大地のエネルギー】疲れ切った貴方へ~自分だけで生きてないと知る

最近、
特に身体の変化を感じる。

頑張り過ぎる事は出来ないし、
暴飲暴食に耐えられなくなってきた(笑)

これは悲しむ事ではない。

ようやく充実してきた心の領域、
つまり「感情のコントロール」と「思考の仕方」。

それを、
現実世界で現象化させる「器」としての肉体が、
「もっと大切にしろ!」
と訴えているのだ。

その声に、
今さら気づかされている感覚だ。

「身体を大切にする」
という感覚を、
身に沁みて受け取っている。

そう言えば2012年に亡くなった父の事を思い出した。

ぼくと父は30歳離れているので、
父が今のぼくの歳、
55歳の時、
ぼくは25歳だったんだなあ。

父が「キヨーレオピン」という、
たしかニンニク成分の入った滋養強壮剤のような液体を、
カプセルに入れて飲んでいたのを覚えている。

父は、
昭和のいわゆる企業戦士と言うか、
経済発展のど真ん中で生きてきた人だと思う。

唯物論的な思想を持っていたと思う、
「死んだら何もない」
と言うような考えで、
「目に見えないものはない」
「目に見えるものしか信じない」

と言うところがあった。

そんな父に反発していた。

父の時代は、
年功序列の終身雇用が当たり前に信じられていたので、
20代で音楽をやりながらではあるが、
今で言うフリーターのぼくに、
「とにかく何処かの会社にもぐり込め」
としょっちゅう言っていた。

父には大変感謝しているし、
愛おしく思っているが、
父に従って生きてこなくて良かった、
と、
そこは自分を褒めてやっている。

父には、
もちろん「気」の概念など無かった。

量子力学を持ち出すまでもなく、
「無い」ものは「無い」、
「ある」と思えば「ある」のだ。

ぼくは3年前に、
この「気」の概念に出逢って、
そこに確信が持てるようになって、
本当に命拾いをしたと思っている。

あの時のまま、
経済活動のみが「ある」ものとして生きていたら、
確実に今のぼくは「無い」となっていただろう。

生命活動を養う「気」で、
「宇宙エネルギー」と言うと、
「天」からの、
上からのエネルギーばかりが注目される。

しかし、
「大地」の、
「地球のエネルギー」を頂戴して生きていることに気付き、
「ある」ものとして生きた方が良さそうだ。

「寝る」事が出来るのも、
「立つ」事が出来るのも、
「歩く」事が出来るのも、
「座る」事が出来るのでさえも、
地球の引力のお陰であると忘れる訳にはいかない。

常に「地」のエネルギーをもらっているのだ。

肉体的に疲れ切っている時、
「キヨーレオピン」に代表されるように、
外部からの物質に頼るばかりでは限界がある。

それらを摂り入れて、
そのエネルギーをガソリンのように使い、
肉体を酷使しているようでは先は目に見えるようだ。

それらを摂り入れるのと同時に、
休養を充分とる必要がある、
当たり前だが。

「疲れ切った身体を横たえ眠る」
とか何かの歌の歌詞のようだけど、
この「身体を横たえる」と言うのは、
生命エネルギーを補充するのに、
実に有効だと実感している。

「身体を横たえて眠る」
と言うと、
「眠る」事に主眼がおかれ、
「睡眠」と言う脳を休ませる事ばかりが注目される。

しかし、
この「横たえる」と言う事が、
「地」のエネルギーを吸収していることに気付くべきなのだ。

野生動物、
例えばライオンだと、
病の時に薬を飲む事は出来ないが、
大地に腹這って生命エネルギーを摂り入れている、
そう言う話しを先日ある気功の指導者から聴いた。

ぼくたちも同じだ。

疲れ切って、
身体を横たえている時、
ぼくたちの意識は、
眠ろうとばかりして、
脳を休める事を主にしていないだろうか。

横になっている時に、
『「地」からのエネルギーを吸収している』
と言う意識、
「気」を持つだけで、
その回復力には雲泥の差が出てくる。

「ある」と意識すれば「ある」のだ。

ぼくたちは、
自分だけの「身体だけ」で生きているのではない、
と言う事に気付くべきだ。

どんなに元気に活動出来ている時でさえ、
自分だけで生きていられるのではない。

その事実に、
出来るだけ早く気づく事を願っています。


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天と地と人 すいなの信長正義

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