特に身体の変化を感じる。
頑張り過ぎる事は出来ないし、
暴飲暴食に耐えられなくなってきた(笑)
これは悲しむ事ではない。
ようやく充実してきた心の領域、
つまり「感情のコントロール」と「思考の仕方」。
それを、
現実世界で現象化させる「器」としての肉体が、
「もっと大切にしろ!」
と訴えているのだ。
その声に、
今さら気づかされている感覚だ。
「身体を大切にする」
という感覚を、
身に沁みて受け取っている。
そう言えば2012年に亡くなった父の事を思い出した。
ぼくと父は30歳離れているので、
父が今のぼくの歳、
55歳の時、
ぼくは25歳だったんだなあ。
父が「キヨーレオピン」という、
たしかニンニク成分の入った滋養強壮剤のような液体を、
カプセルに入れて飲んでいたのを覚えている。
父は、
昭和のいわゆる企業戦士と言うか、
経済発展のど真ん中で生きてきた人だと思う。
唯物論的な思想を持っていたと思う、
「死んだら何もない」
と言うような考えで、
「目に見えないものはない」
「目に見えるものしか信じない」
と言うところがあった。
そんな父に反発していた。
父の時代は、
年功序列の終身雇用が当たり前に信じられていたので、
20代で音楽をやりながらではあるが、
今で言うフリーターのぼくに、
「とにかく何処かの会社にもぐり込め」
としょっちゅう言っていた。
父には大変感謝しているし、
愛おしく思っているが、
父に従って生きてこなくて良かった、
と、
そこは自分を褒めてやっている。
父には、
もちろん「気」の概念など無かった。
量子力学を持ち出すまでもなく、
「無い」ものは「無い」、
「ある」と思えば「ある」のだ。
ぼくは3年前に、
この「気」の概念に出逢って、
そこに確信が持てるようになって、
本当に命拾いをしたと思っている。
あの時のまま、
経済活動のみが「ある」ものとして生きていたら、
確実に今のぼくは「無い」となっていただろう。
生命活動を養う「気」で、
「宇宙エネルギー」と言うと、
「天」からの、
上からのエネルギーばかりが注目される。
しかし、
「大地」の、
「地球のエネルギー」を頂戴して生きていることに気付き、
「ある」ものとして生きた方が良さそうだ。
「寝る」事が出来るのも、
「立つ」事が出来るのも、
「歩く」事が出来るのも、
「座る」事が出来るのでさえも、
地球の引力のお陰であると忘れる訳にはいかない。
常に「地」のエネルギーをもらっているのだ。
肉体的に疲れ切っている時、
「キヨーレオピン」に代表されるように、
外部からの物質に頼るばかりでは限界がある。
それらを摂り入れて、
そのエネルギーをガソリンのように使い、
肉体を酷使しているようでは先は目に見えるようだ。
それらを摂り入れるのと同時に、
休養を充分とる必要がある、
当たり前だが。
「疲れ切った身体を横たえ眠る」
とか何かの歌の歌詞のようだけど、
この「身体を横たえる」と言うのは、
生命エネルギーを補充するのに、
実に有効だと実感している。
「身体を横たえて眠る」
と言うと、
「眠る」事に主眼がおかれ、
「睡眠」と言う脳を休ませる事ばかりが注目される。
しかし、
この「横たえる」と言う事が、
「地」のエネルギーを吸収していることに気付くべきなのだ。
野生動物、
例えばライオンだと、
病の時に薬を飲む事は出来ないが、
大地に腹這って生命エネルギーを摂り入れている、
そう言う話しを先日ある気功の指導者から聴いた。
ぼくたちも同じだ。
疲れ切って、
身体を横たえている時、
ぼくたちの意識は、
眠ろうとばかりして、
脳を休める事を主にしていないだろうか。
横になっている時に、
『「地」からのエネルギーを吸収している』
と言う意識、
「気」を持つだけで、
その回復力には雲泥の差が出てくる。
「ある」と意識すれば「ある」のだ。
ぼくたちは、
自分だけの「身体だけ」で生きているのではない、
と言う事に気付くべきだ。
どんなに元気に活動出来ている時でさえ、
自分だけで生きていられるのではない。
その事実に、
出来るだけ早く気づく事を願っています。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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天と地と人 すいなの信長正義
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