ぼくたちの頭の中では、
どのくらいの思考の選択が行われているのだろう?
もちろん、
無意識に行っていることもあるのだけど、
それも合わせると、
とてつもない迷路の中から選んだ「今」があると思う。
例えば、
朝何時何分に起きるのかも、
自分で決めて選んでいるし、
洗面所にいても、
どの順番でどこから洗ったり磨いたりするのかも、
もう無意識になっているかも知れないが自分で選んでいる。
行動の選択もそうだけど、
思考の選択も同様に、
相当の数を選んでいる。
目が覚めて、
窓の外を見て、
雨が降っていたとして、
「あー、雨か・・・、憂鬱だな」
と思うのも「憂鬱」と言う思考を選んでいる。
「雨か・・・、しんみりしていい気分だな」
と思う事も出来るかも知れない。
先日こんな事があった。
ある会合が予定されていて、
ぼくは出席する選択をしなかった、
つまり欠席した。
その会合は、
ぼくが最近距離を置いている集まりで、
参加したい、したくない、
と言う選択もそうだが、
「その集まりに参加するにふさわしくない」
と言う思考になっていたのは事実だ。
「出席するのを遠慮する」
と言う考え方になっていた。
これも思考の選択の一つ。
その後、
SNSでその会合の様子が、
写真でアップされ、
それを「見ない」と言う選択も出来たが、
「見る」と言う選択をした。
その結果、
ぼくの親しくしている人物で、
その会合には「参加しない」と聴いていた人が、
参加していた事実を知った。
この時、
感情的には「(´;ω;`)ウッ…」と言う感覚が起こり、
いろんな思考が頭を巡った。
ここで、
ぼくが選ぶことが出来たのは、
様々なマイナスの思考だった。
「裏切られた」「妬ましい」「羨ましい」「屈辱」・・・
しかし、
ぼくはこれらを選ばずに済んだ。
この人が参加を選んだのは「自由」、
しかも「不参加」を確定したのかぼくには定かではない訳だし、
決してぼくに損害を与えようとしての行動ではない、
と言う「考え方」が出来たからだ。
この「考え方」を選ぶ事が出来たおかげで、
ぼくは気分が良いまま過ごすことが出来ているし、
それがもちろん体調や活動にもいい影響を及ぼしている。
「感情」と「生理反応」は一瞬のものだ、
その一瞬の感覚に引きずられたり囚われたりしても、
何一つ得になる事はない、
と肝に銘じよう。
「気分が良い」
「幸せを感じる」
と言う「考え方」を選び続けるべきだ。
この人生の時間は限られている、
この肉体のまま活動できる「今」も、
この時が一番若く瑞々しいのだ。
「考え方」は癖である、
今まで生きてきた些細な経験から、
何の得にもならないつまらない「考え方」の選択をするのをやめよう。
自分で選択できるのだ、
マイナスの考え方はあるけど、
自分が選択するのはやめよう。
幾つもの選択肢がある思考回路の迷路の、
「幸せになる」道を常に選び、
「気分が良い」道をいつも歩く。
それは、
あなたが「今」この時から、
自分の意志で出来る事である。
そうすると、
選べる未来が変わるし、
現れる現実が変わるのだ。
周りの現象が自分の気分や人生を左右しているのではない、
あなたの「考え方」の一つ一つの選択が、
人生の混沌とした迷路から、
幸せで気分のいい道を見つけ出し、
幸せで気分のいい現象の中に導いていくのだ、
自分自身の「考え方」の選択の積み重ねが、
ぼくたちの「今」を創り出しているのだ。
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天と地と人 すいなの信長正義
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