この苦しみから抜けられないのではないか?」
そんな風に感じることはないだろうか?
実は、
ぼくにはある。
最近、
久しぶりに、
そんなマインドから抜けられずにいた。
当然、体調にも思わしくない影響がでる、
日頃患者さんにお伝えしている身でありながら、
何とも未熟だ。
結論から言うと、
「今」ここに集中して生きていない時だ、
「過去」の出来事の不快感、
「未来」に起きるかも知れない不安、
そんなことに囚われていて、
「今」に思いがない時にそうなるようだ。
例えば、
ぼくの場合で言うと、
新しく契約した営業システムについて、
あれこれ思い悩んでいた。
本当に必要だったのか?(過去)
いいように騙されてはいないだろうか?(過去)
実際に使うことが出来るのだろうか?(未来)
支払いが滞ることようなことはないだろうか?(未来)
…… ……
このような、
「今」の時点でコントロール出来ないことに思いを巡らせても、
どうしようもないのだ、
どうしようもないことがわかっていても、
「未来永劫この不安と恐怖から抜け出せないのではないか?」
くらいのマインドに陥っている。
こうなると、
現状の自分に対して「不信感」さえ生まれてくる。
「お前の力量でまたまた独立などと、罰が当たったのではないか?」…
そうすると、
袂を分かった師のかつての言葉や、
後輩たちの嘲る声が聴こえてくるようにさえ思えてくる。
そうすると、
それを遮ろうと、
「自己正当化」マインドが始まり、
「敵対」や「対立」の思考に陥ってくる。
益々苦しみから抜け出すことは出来ない。
苦しさを紛らわそうと、
仕事に手を付けても、
患者さんを相手にしても、
「自己概念」は恐ろしいほど下がり続けようとする。
おそらく、
身体を動かしたり、
娯楽に興じたりしても、
一時的な気分の転換に過ぎないことだろう。
「今」急にここで、
『愛』や『感謝』のワードを唱えてアファメーション(深層自己説得)をしても、
『天』の『神』に祈りを捧げても、
そのような思想の力では弱く及ばないものだ。
それでは、
どうすれば良いのか?
「今」現状の自分を信じ認め、
自分が選択し続けてきた最善の「今」を信じ認め、
この「今」を与えてくれた「今まで」の一番端っこに、
『感謝』の一言を置くのだ。
「不安」や「恐怖」などの「苦しみ」の要素には、
「罪悪感」「無価値感」「無能力感」「絶望」などが含まれ、
それらの感情から逃れるために、
「敵対心」や「対立心」が芽生え救われようとする。
その対象を真っ直ぐに見つめて欲しい、
ぼくの場合は『推拿の師』に対するものだった。
「今」を与えてくれた「今まで」の一番端っこには、
様々な『恩人』がいる。
『推拿の師』はその中の重要な存在で在り続ける。
ここに、
『感謝』の意を置かない限り、
この低層の感情レベルから抜け出すことは出来なかっただろう。
そこに『感謝』を置くと、
当然「今」に『感謝』が生まれ、
そこから「今まで」が全部感謝に変わるのだ、
まるでオセロのように。
今夜、
「今」どうしてもこれを書きたかった。
「今」ここには『感謝』がある。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義
『天と地と人』では、
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