推拿(すいな)の道に入って20年になる、
我ながら運よく縁あって良くやってこれた、
と思う。
ここまでやってきたぼくにも、
何も知らず何もできなかった20年前がある。
ぼくの経験とともに、
これから素人の方が、
推拿を人の役に立てて、
収入を得るには、
どのようにすればいいか…
今回は、
そのあたりをお話していこうと思う。
7月から、
60代で退職を期に推拿を習い始めた女性がいる。
当初は明るく意欲的な肝っ玉母さん風の方だったのだが、
推拿に対して少々難しさを感じ始め、
行き詰まっているというか、
何か冷めた諦めを感じているようにみえた。
お話を伺ってみると、
8月から3ケ月間、
失業保険を受給するためにハローワークに行き始めたそうなのだが、
そこで現実に直面されたようだ。
肝っ玉母さんは、
事務系でフルタイム働いてきた方で、
今後、時間と日数を短くして仕事を見つけようとする場合、
「今から整体の仕事はやめておいた方がいいですよ」
と職員にアドバイスされたそうなのだ。
「事務系」で探した方が容易く見つかりますよ、
という意味なのだろうが、
伝わってたニュアンスからも、
「今さらその年齢で新しい職種は無理でしょ」
と言われているようにぼくにも聴こえた。
なんとなく気が落ちていたのは、
それが原因か…
肝っ玉母さんは、
人のために何かをするのが好きで、
素人ながらも、
疲れたりしている人を見かけると、
手を当てて癒してあげることが好きだったそうだ。
どうせなら、
退職後に勉強して、
ご主人と娘さんの身体を癒し、
できれば他の人の役に立てるようになりたい、
という希望を持っておられた。
この人が、
元々もっておられるこの「心」が、
そしてそれを表わす肝っ玉母さん風体型も含めて、
施術の世界に向いている、
とぼくはみている。
さすがに、
ツボや経絡や、
筋肉・骨格・神経など、
同時にとり入れる知識も、
60代の方には多く感じているのは事実だ。
しかし、
焦る必要はない、
自分の中に知識への空洞ができたら、
そこに吸収すればいいのだ。
『器がなければ受け取れない』のも事実なのだから。
そこに来て、
この現実的な経済の仕組みの中に、
今の自分が果たせる枠組みを今の自分のサイズで囲ってしまったら、
それ以上の成長は必要ないし、成長できなくもなる。
そうであってはいけない、
『制限』は思い込みだし、
『可能性』も思い込みだ。
今の自分でしか考えられない『制限』の中で、
この先の現実を創り続けても楽しくないではないか。
ぼくは、
肝っ玉母さんに、
ぼくが辿ってきた道のりとともに、
「可能性の実現」は「本人次第」であることを伝えた。
20~30歳代前半まで、
ぼくは音楽活動をアルバイトをしながらやっていた。
もちろん売れるとかそういうレベルではなく、
今思うと自分の「心の救い」としてやっていたと思う。
それが「人のため」になると思ってやっていたのだが、
やっぱり「自分の救い」で留まっていた。
30歳を過ぎて広島に住む母方の祖母が亡くなった、
子供の頃から可愛がってもらい、
恩を返すことのできなかった今思うと尊敬できる人だった。
その葬儀の時にもこの恩人は、
ぼくに教えを与えてくれた。
3月の良く晴れた日のお寺には、
100人近い人たちが参列していたと思う、
地域活動も熱心にやっていた人だった。
そんな日の青い空と、
きれいに浮かぶ白い雲の形、
木々の枝の揺れとか、
そこにいる人たちの表情とか服装とか、
それらのものが、
同じように存在するのは、
たったこの時だけだ、
と気づかされたのだ。
もし生まれ変わることがあるとしても、
今この時目の前に広がるこの状況は、
同じことを繰り返して見ることはできない。
その想いが肚の底に入った時、
ぼくはいてもたってもいられなくなった。
帰りの新幹線の中で、
誰に教わったわけでもなく、
今実現させたいことをメモに書きだした。
・日当たりのいい場所に住む(当時は風呂なし共同トイレに住む独身だった)
・キッチンがあり料理ができるようになる
・ジョンレノンにとってのオノヨーコのような存在の人と結婚する
・浜田省吾の写真を撮っているようなカメラマンと知り合う
・社会人として自らの力で人の役に立てるような職業を持つ
これらの望みだった。
そして、
これらは全て実現した。
翌月4月の末に行った、
大宮のファッションビルの野外ステージでのライブを観ていた女性から、
次からのライブの案内を送ってもらいたいと名刺をもらい、
その後、案内を送ったらその度に観に来てくれるようになり、
なんとその女性はカメラマンでライブの写真を撮ってくれるようになり、
結果的にお付き合いするようになり、
結婚に至ったのがその女性=妻である。
そして新居として探したのが、
かねてから付き合いのあった不動産屋が紹介してくれた、
3階建て3階部分全室の日当たりのいい物件で、
そこでぼくは料理ができるようになった。
そして、
数か月後、
アルバイト先の中国料理店で推拿の恩師と出逢い、
この道に入ることになった。
今考えると芋ずる式、
ですね。
恩師になる人と知り合ったはいいが、
この経済社会の中で、
やはり「学費」と言うものが存在した。
「どうしても勉強したい!」
となっていた貯金のないぼくは、
妻に頼み込んで、
結局、総額百数十万円の学費を支払って、
結果的に弟子入りした。
ぼくは、
器用でもないしお勉強が出来るわけでも好きな訳でもない。
だけど、
「心」だけは良かった。
『推拿』の基本は「心・意・気」であり、
まず他の人のためになりたいという「心」は必須だったのだ。
だから、
結果的には向いていたのだが、
道は厳しく険しかったのはいうまでもない。
この辺りに関しては、
また別の機会にお話しするかもしれないが、
ぼくはすんなり成長してきたわけではない。
どちらかというと、
「逃げたくても逃げられなかった」し、
「諦めたくても諦められなかった」し、
「やめたくてもやめられなかった」し、
とにかく続けるしかなかった、のだ。
苦しかった、
でも続けてきた。
そしたら、
いつの間にか出来るようになったのであるし、
いつの間にか好きになっていたのである。
だから、
もともと人に手で何かしてあげるのが好きだったこの肝っ玉母さんが、
続ければものになるに決まっているのだ。
『返報性』というが、
他の人に対して価値のあるものを提供していけば、
そこに価値が返ってこない筈はないではないか。
だから、
肝っ玉母さんの考える事、
やるべき事は一つ!
『推拿』の道に邁進する!
それだけだ。
いかがでしょうか?
ちょっと熱く語りましたが、
これは本心です。
良い「心」を持った人が、
社会でもっと活躍できるようになればいいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義
『天と地と人』では、
推拿施術と推拿の個別指導を行っています。
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