2019年8月17日土曜日

内省すべき『上下』思考の悪しき習慣

ある中国の方から、
「日本人は上下関係ですべてを当てはめて見ている」
という話を聴いたことがある。

目から鱗がとれる思いだった、
いや、当たり前過ぎて、
それが単に固定概念であることにも気づいていなかった。

「上下関係」
に関して疑ったことがなかった。

「親子」「兄弟」「年齢」「経歴」「経験年数」
「学歴」「職歴」「先輩後輩」「役職」「雇用」「取引」…

まだまだあるかも知れないけど、
こういう「関係性」があると、
そこに「上下」をあてはめるのは、
当たり前だと思っていた。

当たり前か?

いや、
当たり前ではなかった。

ぼくは自分のこれまでを振り返った。

無意識に、
人は(相手にするのはほとんど日本人)上下関係を探ることを知っていた、
なので、
他人との関係を簡単につくるのに、
「下手にまわる」
ということをやっていた。

多くの、
どうでもいい、
あまり関係性を持ちたくないタイプの人間は、
ほぼほぼこれを探ってくる、
「自分が上か下か?」

だから、
面倒くさいので、
明らかに「下にまわって」
とりあえずの関係性を安定させる。

そのほうがこのタイプの人間は安定する。

ただ、
ぼくは心では納得していないので、
この関係性が続くのにはストレスを感じることになる。

この何度でも起こることを、
『上下関係』の指摘を受けたぼくは、
真剣に注目した。

そこで、
この「江戸時代」以降も、
当たり前に続くこの土地の文化の、
『上下関係』を『人間関係』に当てはめないことに決めた。

その結果、
すごく楽になった。

やっていることは、
自分からは『上下関係』を求めない。

たとえば、
ぼくの日常には、
「患者さん」と「生徒さん」との関係がある。

「患者さん」はサービスを受ける方だから、
与える側のぼくは「上」ということになりやすいが、
こちらからは「上下なし」。
「患者さん」はお金を支払うお客さんでもあるから、
戴く立場からすれば「下」になるかも知れないが、
もちろんこれも「上下なし」。

自分からも「上下」を求めないし、
相手からの「上下」もなしとするのだ。

「生徒さん」は教えを乞う立場であるので、
教える側のぼくは「上」になりがちだが、
心してここにも「上下なし」。

ここには、
ぼくが「先に知って、先に理解して、先に出来るようになった」ことを、
お金を介して情報提供している訳なので、
基本的に対等である、
という姿勢がある。

ただ、
与えたものを受け取ってもらう段階で、
受けとってもらえるだけの相手の器が必要なので、
その時に応じて「上下ではなく」厳しい対応はするべきだと思いそうしている。

「夫婦関係」ももちろんそうだよね、
「上下」なんてあり得ないね。

「師弟関係」はどうだろう?

振り返ってみて、
ぼくには「無償」で得たものは、
天から授かったもの以外にない。

「親の愛」は「無償」ではないか?
そうかも知れない、
なのでもちろん感謝し続けているし、
もっともっとお返ししたい。

そのうえで、
幸い存命するぼくの母親は、
親子関係を上下関係に当てはめるようなことをしない。

「師匠」は「親」ではないし、
必ず「対価」を介して必要なものを得させてもらった。
「対価」が「対等」だったから「関係性」が続いていた。

具体的に言うと、
ぼくに「推拿」との出逢いをくれた師は、
『上下』を蜜のように好むタイプだ。

ぼくも先にお伝えしたが、
元々当たり前に「下にまわる」タイプだった。

こういうタイプ同士は、
ガッチリその欲求にはまる。

ただし、
ぼくのほうは、
本当に「尊敬」出来る人物で、
本当に「ついていきたい」と思っていられると、
何の疑いもなくその関係性を続けることに邁進する。

ただ、
その対象が「それらに値しない」
ことがわかってしまったら、
その「関係性ごっこ」を続けることは終了だ。

この世の中には、
相手からエネルギーやパワーを奪って当たり前、
というタイプの人間がいる。

このタイプに「上」にまわられて、
自分が「下」だと受け入れたらアウトだ。
自分の人生が終わってしまうと言っても良い。

国家が、
独立状態を切に望むのと同じで、
「自分」を占領されたり支配されたら「自分」ではなくなる。

これから始まる事業の中で、
また様々な人たちとの関係を結んでいくことになるだろうが、
独立した存在として社会に貢献していくための準備ができた。

そのレッスンを、
今までの経験から学んできた。

「上下関係」のないグループ、
組織はつくれるのだろうか?
いや、
もう組織自体、
社会活動の中で機能しなくてもよくなるのだろうか。

飲食店や、
コンビニのレジなんかで、
店員さんと上下関係をつくり、
「不機嫌」「横柄」「高圧的」
なやりとりをする大きな身体をしたお子様を度々見かける。

ぼくは、
彼らとは無関係で在り続ける。

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