ではない。
『宗教』の教えや逸話は、
「心の在り方」を迷える人間に問うものとして、
必要があって生じてきたものなのだろう。
結論から言うと、
ぼくは『宗教者』ではないし、
それを志していないし、
『宗教団体』に入っていないし、
そこに入りたくないし、
そういった構造の「団体」や「組織」に、
入りたくもないし、
それらをつくりたくもない。
ぼくはざっくり「聖書」を読んだことがあるし、
「仏教」の成り立ちを調べたこともある。
「心の在り方」に一番の関心があって、
それを『気功』によって学び、体得してきた。
だから、
ぼくの人生経験と、
「気」から得られてきた現象とを合わせて、
その実体験を「望んでいる皆さん」にお伝えしている。
「望んでいる人に」である。
人は、
願望にないものは、
受けとれない。
この記事では何が言いたいのかっていうと、
『心』の話をすると、
「宗教」と絡めてくる人がいるが、
善い悪いではなく、
ぼくには「宗教」を伝える役目はない。
もちろん、
「宗教団体」をつくる役割もないし、
その気も要素も全くない。
と言うことを、
いち早くお伝えしておく。
もう一つ、
ぼくは「団体」や「組織」に属していない、
個人事業主として仕事をしている。
それから、
3年前までは、
ピラミッド型の構造の組織を創りたい、
と思っていたし、
それを試みていた時期がある。
『推拿(すいな)』を「日本に普及したい」
と言う願望があり、
それを成し遂げるには、
頂点を有した組織構造を創るのがベストだと思い込んでいた。
でも、
実際にトライすると、
うまくいかなかった。
その後、
その答えははっきりと理解できた。
結局、
正直に言うとぼくは、
『支配構造の中で集金システムを築こう』
としていたのだ。
ぼくは昔から、
「組織」に属すことができなかった、
理由をはっきり説明できなかったのだが、
つまり、
『支配構造』の一部になりたくなかったのだ。
自分がなりたくないものを、
自分がトップに立って、
その構造に人を入れようとしていたなんて、
この計画がうまく現象化しなかったのは自明のことだ。
ぼくは「上下関係」も持たないし、
「支配関係」も、
「依存関係」もつくらない。
善い悪いは別にして、
『宗教団体』は完全にピラミッド型の支配構造だろう。
そもそも、
「私は神である」
と生身の人間が言ったとたんに、
この構造は出来あがってしまう。
キリストも釈迦も、
この世に生があったうちは生身の人間であった、
「神の子」であるし、「仏の教え」に至った生身の人間だった。
この世に生があったうちは生身の人間であった、
「神の子」であるし、「仏の教え」に至った生身の人間だった。
弟子を連れていたが、
それ以下に人を従えてはいなかったはずだ。(もし間違えていたらご指摘ください)
現代社会とは構造が違うだろうが、
その『教え』を広めるために、
「自らの身を削ってでも」
という姿勢を感じてしまう。
現代の宗教団体は「教え」を、
どのように伝えているのだろうか。
ぼくは今、
ある心の在り方の境地に至った。
これから、
『推拿(すいな)』を通して、
『気功』を通して、
施術や指導や教育や育成を、
事業活動を通して行い、
自らの経済的な成長を望んでいる。
そして、
それを成し得たら、
志を同じくし、志の高い人たちに向けて、
手助けをし続けたいと願っている。
そのような存在を目指している。
0 件のコメント:
コメントを投稿