2019年7月30日火曜日

すいな施術と中医学とスピリチュアル(前編)

きょうの新患さんは、
『神聖幾何学』というジャンルの、
スピリチュアル系の絵画を描く方だった。

コンパスとボールペンだけで描いていくもので、
ぼくも作品を拝見したが、
とてもカラフルで華やかであり、
癒しの感覚のあるものだった。

おそらくは、
高い波動と直結するものだ。

この方との関わりで、
ぼくのスピリチュアル感覚が、
覚醒された感覚があった。

というのは、
この方がお持ちの症状が、
この方の過去のやってきたこととか、
考えてきたことの蓄積を伝えていて、
現在の顕在意識で理解していることではなく、
潜在意識が訴えている情報が、
伝わってきたように感じたからだ。

この方の主訴は、
ここ一年くらいのひどい頚肩こりと、
10年前に発症したリウマチが、
しばらく前から効き手の手首に表れ始めた、
ということだ。

この感覚が得られたのは、
この方自身が、
「目に見えるものだけの世界」から、
「目に見えない世界」を身体を壊すことにより興味を持たざるを得なくなり、
探求していくことになった方だから、というのも大きい。

すいな(推拿)の施術に、
直接スピリチュアルが関わっているわけではない、
これはぼくの個人的な興味だし能力の一つだと思う。

ただ、
肉体を物質としてだけみていては限界があると、
ある時から感じていた。

中医学は大衆の医学なので、
多くの人に当てはまることに対しての理論である、
と聴いたことがある。

つまり、
極端に簡単にいうと、
経穴と経絡という気血の通り道があり、
五臓六腑に連絡している。

対象となる多くの症状は肉体に関するものなので、
この次元での理論で十分なのだ。

また、
症状改善も肉体レベルで行われる。

なので、
この段階での施術の仕事に、
自分が関わることには、
正直疑問を感じていたし、
語弊があるかも知れないが正直飽き飽きしていた。

この次元だけの教えを、
変わらず”上から“垂れ流し続ける御大にも、
辟易としてきた。

辟易と、
というのは後から理解できた感情で、
もやもやと、悶々としながらも、
他の次元があることを知らず、
「そんなもんかなあ…」
と諦めざるを得なかったのだと思う。

肉体に表れている症状を改善すること、
それができることは、
それは素晴らしいことだ。

ぼくも、
何も知らない、できない状態から、
症状改善を提供することを、
当たり前のようにやらせていただいてきた。

しかし、
生じた症状を改善させて「ハイ終わり、ではまた!」
という関係性だけの仕事は、
「もう他の人にやってもらえばいい」
という感覚になってきた。

結果には原因があるように、
でてきた症状には原因がある。

それは、
多くは物理的な姿勢の問題、
過度や不足な運動上の問題、
損傷や気候・天気などの対外的要因の問題である。

そして、
原因には、
心因的なものもある。

中医学が伝えているように、
五臓は感情に関連し、
感情は五臓に関連する。

つまり、
肝 → 怒り
心 → 喜び
脾 → 思う(悩む)
肺 → 悲しむ
腎 → 恐れ

怒りやイライラなどの感情を続けていると肝の機能を傷めるし、
肝を傷めるとイライラや怒りの感情がでやすくなる。

喜び過ぎても心を傷め、
思い、悩み過ぎると脾の機能を弱めるし、
脾や胃が弱くなると思い悩みやすくなる。

悲しみの感情を長く持ち続けると肺を傷め、
恐れや不安の感情に浸っていると腎の機能を低下させ、
腎のエネルギーが少なくなると恐れや不安に襲われやすくなる。

これらのことから、
症状を聴き、
五臓六腑との関連を探り、
経穴や経絡の気の流れや痛みを手で知ることによって、
その原因を関連付けることは、
通常のすいなの現場で行われていると思う。

現状に表れたその症状と、
五臓六腑の状態と経穴と経絡の状態、
そして表れやすい感情との関連を結びつけるのだ。

ぼくは弁証論知をやらないが、
頭の中でこれらを関連付けて、
自分なりに理論立てて施術を行っている。

そして、
そのうえで、
患者さんが過去やってきたことや、
過去抱えてきた感情、
過去から現在の考え方を聴きだしていく。

そして原因を絞って、
現状の患部の状態を手で改善させるとともに、
これらの感情や考え方の修正を同意の元でお伝えし、
症状の再発の可能性を少なくしていく。

この段階になると、
自発的に、自律して自らの状態をコントロールできるようになり、
自立していかれる。

とりあえずは、
この次元の関わりを志し、
実際成果を上げている。

そして、
そのうえで、
精神世界と魂のレベル、
いわゆるスピリチュアルの次元になるのだが、
ここはやはり目に見えないことも存在するということだ。

これを今回、
このスピリチュアル絵画の患者さんとの関わりで、
確信するにいたったのだ。 ※次回、中編につづく

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