きょうは、
すいなコミュニティーがあった。
推拿のマンツーマン指導を、
今はこう言っている、
すいなコミュ。
最近もいろいろなタイプの方々が通っていらっしゃる。
自宅でデザインの仕事をやっている40代独身男性、
退職されたばかりの60代の主婦。
本日いらした方は、
40代の鍼灸学校に通う既婚女性。
推拿を指導するには、
責任と使命感がある。
そして、
それを支えるモチベーションは、
「求めている方に余すところなく伝えたい」
という気持ちだ。
この「求めている」というところが重要なのだが、
その求めている心が真剣で深いほど、
伝えたい、与えたい気持ちはより強くなる。
デザイン男性と、
退職主婦の方は、
基本の手技を20回セットで修得するコースを利用して戴いている。
お二方とも、
人のために役に立てることとして推拿に出逢い、
「出来ることなら推拿を職業にしたい」
という願望をお持ちだ。
全くの素人の方を、
ぼくもそういう道をたどったのだが、
仕事ができるレベルにまで引き上げるのは大変だ。
しかし、
その方の願望の強さと、
これまでの仕事などで経験されてきた蓄積を合わせると、
その方独自の強味、個性が生まれてくると思う。
一定の期間と費用を使って、
臨まれているということと、
その方に真剣にその願望に向かう姿勢が感じられると、
それに何としてでも応えたいという気持ちが沸々と湧いてくる。
そして、
お伝えする私のほうにも、
その気持ち、思いだけではなく、
十分な技術と知識を持っていなければならないことは自明だ。
それだけに、
日々、
自らも成長の蓄積を怠るわけにはいかない、
となる。
この循環が今現在うまく巡っている。
ただ、
きょうの鍼灸学校生には、
少し違う感情があることに戸惑った。
どういうことか?
思えば、
その違いは二つあった。
一つに、
この方は毎月一回の単発受講なのだ。
鍼灸学校にお金と時間がかかっているので、
こちらの学習に費用と労力をかけられない、
ということ、
なのだ。
いやいや、
それはかなり穿った見方であるし、
この方にも鍼灸按摩マッサージの勉強をしながらも、
推拿を学びたい、という熱意を感じたからこそ、
無理なく学んでいただけるこのスタイルにしたのだから。
しかし、
久しぶりにお会いしたぼくには、
そう感じてしまう隙間があったのは確かだ。
もう一つは、
「自分も持っていない国家資格を有する予定のこの方に、
どこまで教えていいのか?」
とかいう、
本当に次元の低い制限のマインドがよぎったのだ。
なんだろう?
自分よりこの方のほうが優れるかも知れない?
という恐れか?
ああ、
まったくくだらない、
恥ずかしい・・・・。
しかし、
その方の求めているものを与えていくように時間を経ていくと、
その低レベルの領域を抜けることができた。
そして、
予定の時間を過ぎ、
お帰りになる時にプライベートなお話になり、
その方のとても個人的なことをお聴きするにいたった。
もちろん、
ここにそのことを記すことはないが、
ぼくの心の中には、
その方の過去や現在や未来が、
立体的に印された。
その方が抱えている背景が、
その方を苦しめてもいて、
その方を前へ推し進めてもいる。
その方の原動力の一助になる。
心にそう刻んで、
ぼくもまた日々の積み重ねに、
生きる喜びを見出している。
つまり、
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