今日、55歳になった。
歳をとることは、
この数年あまりうれしいことではなかったが、
少し認識が変わったようだ。
何故か?
おそらく、
それはここ数年実践してきた、
”あること“のお陰だ。
今、ここには書かないが、
この”あること“のことも、
いずれ必要とする人たちに、
もっと伝えていくことになると思う。
認識が変わったことの要因の一つは、
健康に対する不安がほとんどなくなったことだ。
全く健康のことを考えていないのではなく、
むやみに悪いことを想像しなくなった、
というのが近い。
もちろん、
運動不足には気をつけるし、
食べ過ぎと飲み過ぎにも気を配る。
過不足気味ではあるが。
将来のことでいうと、
この健康への信頼から、
せいぜい60代で仕事がなくなるとか、
働けなくなるとか思えない。
年金も満足に戴けない現状を知っても、
老後の不安に悩まされてもいない。
過去、
自分の生きてきたことを卑下はしないが、
世の中に対して輝かしい功績をのこしたこともない。
誇れるような歴史や才能があるわけではないが、
何故だか今の自分のやるべきこと、やりたいこと、できることに、
じわじわと信頼をもっている。
何かを期に、
「飛躍する」とか「ブレイクする」とか信じ切れたことはない。
過去そのような一時的な高揚感に裏切られてきたから。
今は、
急変するとは思えないが、
「積み上げていける」
というじんわりとした自信がある。
「積み上げていくことはできる」
20年前にすいな(推拿)に出逢って、
運と縁に恵まれて学びそして実践してきた。
2006年に独立開業し、
10年間個人事業を学ばせて戴き、
2016年から3年間は古巣でいい経験を積ませてもらった。
非常に苦しい3年間であったけど、
ぼくの人生の大きなテーマを乗り越えることができた。
それは、
支配と依存に対する認識だ。
この認識が変わったことで、
ぼくはこの人生の2大要素である「健康」と「経済」を手に入れた。
これが冒頭記した”あること“との出逢いによって表れた現象だ。
ぼくはこの20年間、
すいな(推拿)で身を立ててきた。
すいなに出逢ってから他の仕事はしていない。
自分のことは未熟だと思っているが、
これは紛れもない事実だ。
「自分の手で直接人の役に立つことで、社会貢献できる仕事」
という大義名分で推拿をやってきたが、
生きるため、喰うためだったことも確かである。
推拿を通して人の役に立ち、
自分の対人緊張などの心に抱えるものを乗り越え、
推拿で独立を経験することで経済力も培ってきた。
天から与えられた推拿のお陰だ。
しつこいようだが、
そして必然的に出逢った”あること“によって、
ぼくは完全に独立を果たすことができた。
2014年の7月に、
アチーブメント株式会社の研修を受け、
『生きる目的』についてあることが頭に浮かんだ。
それは、
自分のやってきた推拿を、
自分だけのものにせず、
「日本全国に推拿を普及する」
というものであった。
何か、
大きなことをしたいと思っていた。
何か大きなことを成し遂げたら自分は自分になる、
自分は成功すると思っていた。
でも、
お陰様でこの数年間で、
それは大きな勘違いであることに、
心底気がついた。
もちろん、
すべて間違いではない、
考えの元が違っていたのだ。
それが腹の底から理解できたのだ。
ぼくは自分を見つけた、
ぼくはまだまだ未熟ではあるが、
ぼくはすでに小さな完成型である。
この未熟ではあるけど、
すでに自分がわかったこと、
出来たことを、
身近な周りに伝えることで、
ぼくの生きる価値があることがわかった。
おかしなことを言うが、
ぼくは天とつながった。
だから天の思うように、
天に従いこの命を使う。
すいな(推拿)をわかりやすく伝えること、
これからやることのはじまり。
55歳の記念日に、
天からの祝福として、
それが伝わった。
そしてここからはじまる。
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