どのようにして推拿を体得してきたのか?
自分でも整然と言い表すのは難しい。
教科書通りに学んだわけではないし、
手取り足取り教わったわけではないし、
20年やって来れたが、
その間ずっと自信を持てていた訳ではない。
後進の方々へお伝えしていく責任として、
ここであらためて整理してみたいと思う。
推拿を修得するのに必要な要素は、
大きく3つに分けられる。
「技術」「知識」「考え方」だ。
何かを習おう、
学ぼうとする時に、
真先に「技術」と「知識」を得ようとすると思う。
当然であり、
これらを提供している教育機関は多いようだ。
与える側としても、
「技術」と「知識」に限定して、
カリキュラム化して、
時間配分を組み上げれば、
受講する側がどのような態勢であるにせよ、
ある意味一方的に提供していけば良い。
ぼくは学校が嫌いだった、
特に高校は学校的なものである必要があるのか?
と思っている。
極論を言っているが、
持論なので記していくが、
3年間の決められた教育課程を埋めるために、
本来の学問をすることには不要な要素が多過ぎる、
と思っている。
「学校らしい」要素を排除したら、
社会人になるのがもっと楽しくなると思う。
だから、
推拿を自分のものにするために、
ぼくは24時間を推拿漬けにする必要があると思い、
月に2回の推拿塾の3ヶ月目には、
「弟子入り」を願望の中に入れ始めた。
文字通り「学校らしい」体制で得られる、
「技術」と「知識」を、
ぼくはそんなに信用していない。
本に書かれている事ですら、
全きほどには信用していない。
本当に大切なものは、
『情報』として得られる、
そう信じている。
だから、
誤解を恐れずに言えば、
ぼくは推拿の真髄を、
独学で得たと思っている。
推拿の教科書には、
「心・意・気・力」が、
推拿の力の基本だと書かれている。
まず、
「心」が元で、
「意念」が生まれ、
「気」が引き出され「力」になる。
つまり、
ここでは「技術」や「知識」については触れていない。
ぼくも、
心からそう思うのだが、
「技術」や「知識」なんかなくても、
「心」=「思い」=「考え方」が、
『他の人のために』と言う純度が高ければ高いほど、
「気」が引き出され「力」になり、
効力を産み出す。
だから、
「心」がなければ、
いくら「技術」や「知識」があっても、
『推拿』にはならない、
と断言する。
「学校」としては「経済活動」のために、
「技術」と「知識」を売り、
経営を成り立たせる。
「心」とか、
人としての「在り方」
人としての「次元」と言うものは、
教えて体得出来るものではない。
産まれ持った「資質」であり、
「センス」のようなものが大きいと思う。
「技術」と「知識」で、
「物質的」な変化を起こす事は容易いので、
その「次元」を求める多くの人への対応は可能だ。
だから、
多くの人は肉体への「施術」を求め、
肉体への「施術」を提供している。
ぼくの『天』に繋がる『推拿』は、
「気」の流れを把握し、
良い「気」の流れがより良い「肉体」へ導く事を目的とする。
そして、
社会活動をより良いものにして戴ける事を目的としたい。
ぼくの周りを「心」を求める「資質」を持つ、
センスのある人たちでいっぱいにしたい、
その人たちにはそれぞれの『天』に導く事が出来ると思う。
その人たちは、
この社会を、
この日本を、
この地球をより良いものに導くリーダーになると思う。
それを志事と出来ることは、
ここ数年のぼくの大きな歓びになると思うし、
証になると思う。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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天と地と人 すいなの信長正義
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