願い事が叶った時、
喜びをかみしめる。
この時、
目に見えない、
あるいは自分では気づいていない、
自分の力以外が働いてくれたことに、
感謝する人はどのくらいいるのだろう?
今ぼくの頭に浮かんだのは、
多くの外国人野球選手が、
ホームランを打って本塁ベースを踏んだ時に、
天に向かって感謝を唱えるようなシーンだ。
おそらく宗教的なものだろうと、
漠然と観ていただけだが、
今日お話ししたいのはこの境地だ。
ぼくが思うには、
この時の感謝は、
何も天の「神」にだけ告げるものではないと思う。
どんなに些細な事でさえ、
ぼくがうまく生きていけている時には、
身近な人から、
会ったことのない人にまで、
間接的に支えてもらっていることを忘れないほうが良い。
極端な例だが、
すれ違った人に刺されたりしないことでさえ、
当たり前ではないかも知れない。
つまり、
目に見えて上手く事が運んだ時はもちろん、
ただ「無地」であるいうことだけでも、
『感謝』の対象だと言う事だ。
ぼくは無宗教なので、
そう言った教えとかの話ではなく、
考え方の話です。
「自分が頑張ったから、
努力したから、
この成果があるのだ!」
もちろん、
その側面を認めるのは大切だ。
しかし、
同時に自分以外の支えによって、
その成果がある事を忘れないほうが良い。
まだ若く、
上手く事が運んでいる時ほど、
この大切な事に気付くのは難しい。
しかし、
失敗もして、
病気もして、
挫折もした55歳の今思うことは、
常に『感謝』の気持ちをあらゆるところに配る、
と言う事の大切さから抜けることは出来ない。
弱くなったからではない、
本質が見えるようになっただけの事だ。
若く、
体力も知力も、
そして財力まであったら、
肉体が衰えるまで、
その大切さに気付けないかも知れない。
自分の力で生きている、
ここまで上手くやってきた、
と思えるだろう。
でも、
病に冒された時はどうだろう?
同じことが言える?
自分の力で頑張る!
自分の力で上手くやれる!
その人の勝手だとは思うけど、
もし医療のお世話になるとすれば、
やはり「上手く事が運ぶ」には、
他の人の力を借りなければならないだろう。
そして、
現代の医療にも、
限界や制限があるとすれば、
それでもあなたは「自力」で「上手く生きていける」だろうか?
我々人間が、
上手く生きていけている根源には、
生命体としてこの地球の環境にいるからだ、
当たり前だが忘れてはいないだろうか?
太陽を含めた宇宙はもちろんなのだが、
地球の上で重力を元に生きていることを忘れるべきではないのだ。
立っていられるのも、
歩けるのも走れるのも、
座っていられるのも、
寝ていられることでさえ、
この地球の力のお陰なのだ。
ぼくがうまく運んでいけた時は、
ぼくだけの力ではあり得ない、
と言う事を、
常に深く肝に銘じるべきだ。
2006年に初めて独立開業してから、
暫くして、
持病の腎臓結石からくる軽度の腰痛が気になり、
近所の病院から紹介された泌尿器科医に、
酷く叱責された事がある。
たぶん42歳の頃だ。
新宿西口の泌尿器科専門の病院のその医師は、
ぼくが部屋に入るなりCTの画像に目をやりながら、
「なんでこんなになるまで放っておいたんだ‼‼‼」
いきなりの怒鳴り声に、
訳もわからず怯むしかなかった。
「え”ーっ!……???」…
「とにかく紹介状を書くから今すぐT医科大病院に行ってくれ」
取りつく島もなく、
とはこの時の事の感じだ。
驚きと恐れのままに、
T医科大病院を訪れ、
紹介された教授医師の診断を仰ぐしかなかった。
この教授は、
先の迫力ある医師と正反対で、
とてもしんみりとした方だった。
持参したCT画像を眺めている教授に、
「どんな状態なんでしょうか?…」
初めて自分の状況を問うたのだが、
「ん……腎機能がですね…、まあ精密検査をしてみないと何とも…」
「わ”---っ!…………腎不全?人工透析?」
すぐに頭に浮かんだ…
でもどうしようもなかった。
精密検査の予約は、
3~4週間後にしかとれず、
それまでの間、
ぼくは失意の悶々とした時間を送るしかなかった。
非常に落ち込んでいた、
身体が精神が、
同時に重く参ってしまっていた。
そんな時、
当時太極拳を教えてもらっていた友人が、
長年信頼している気功の先生を紹介してくれることになった。
藁をもつかむ思いだった。
翌日訪れた事務所には、
中国人気功師のR先生はいらっしゃらなかった。
「今は中国に気の修行に山籠もりをしている」
と、受付のお世話をやってくれている人が教えてくれた。
「テレビ電話で遠隔気功をやるからそれを受けたらいかがですか?」
「遠隔…」
話しには聴いていた、
紹介してくれた友人は信頼できる人で、
R先生の話も日頃からよくしてくれていた、
「天気も変えることが出来るのよ」
にわかに信じることは出来ていなかったのだが。
しかし、
藁にもすがらないと、
何としてもこの現実を変えたかった。
「お任せします」
当時、
詳しくはどのように通信していたのかもうわからないが、
大型のテレビ画面に、
中国にいらっしゃるR先生が映し出されて、
その画面にその時は数名の患者さんがいて、
順に自分の名前とか状態を告げていて、
R先生からも片言の日本語が返された。
テレビの画面が消えた後、
その広い室内に置かれた個々のソファーに、
それぞれが座ったり横になったりし始めた。
ぼくもそれにならって、
部屋の奥側の端っこのソファーに座り、
始まるのを待った。
すると音楽が流れ、
部屋の電気は消された。
普通に腰かけていたのだが、
身体の前から何かに押されているような圧迫に、
徐々に背もたれに寄りかかり、
そのうち徐々に仰向けに寝るような格好になった。
気功、
なんて信じていなかったし、
ましてや外気功など、
この時まで全く縁がなかった。
しかし、
この藁にもすがらなくてはならない、
自分の力ではどうすることもできない局面で、
縁があってこの時間を戴くことが出来た。
結果、
ものすごい『気』を受けた、
弱った自分の心身に、
これでもか、
と言うほど浴びたと言う感覚だった。
それから、
数回その外気功を受けた。
一番初めが一番気を感じたが、
みるみるぼくは元気を取り戻した。
一回目のあとに、
「不安」がなくなっているのを感じた覚えがある。
当たり前になくならなかった「不安感」「恐怖心」が、
何故か軽くなっていたのだ。
これは大きかったと今でも思う。
数週間後、
精密検査を受け、
そのまた数週間後、
検査結果を聴きに行った。
「うーん、腎機能は問題ないので…経過観察ですね」
「有難うございます…」
この時は、
本当に自分ではどうしようもなかった、
何かにすがるとか、
お任せするしかなかった。
結果、
導かれるままに、
今でもこうして元気でいる。
自分で思うことは、
この時に、
「自分が自分の力で何とかしよう」
と思えなかったことが、
今になっては良かったのだとしか思えない。
こうして、
無力のぼくは、
藁にもすがる思いで、
藁をつかみ、
結果を任せるままにした。
結果、
検査しかしてもらえなかった大学教授にも、
「有難うございます」
との『感謝』しかなかった。
人生は、
逆境の時も順境の時も、
目に見える、知覚出来ること以外の、
目に見えない、気付けていない事にも、
感謝の意を忘れるべきではない、
とあらためて思う。
ん?
今、
天の誰かが、
これを書かせてくれたように感じた。
承知しました、
そうでしたね。
『有難うございます』
お伝えします。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
天と地と人 すいなの信長正義
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