【推拿(すいな)】プロは毎日いつどんな時でも同じ
最近、ようやく洗濯機が届いた、
6月に場所を借りてから、
少しずつ必要なものから集めてきたが、
洗濯機も必要にせまられて購入した。
今までは、
自宅に持ち帰って、
当初は妻が全部やってくれていた。
少々施術機会が増えてくるに従い、
洗濯物の量もそれなりになって、
ぼくも妻式の洗濯の仕方を習って、
その通りにやってみた。
黒っぽいものと、
白っぽいものは分けて、
少量でもこまめにまわす。
肌のことを考えて、
重曹を使って。
溜め込んでやる、
みたいな習性のあるぼくからしたら、
新たな境地だったのだが、
真似してみると、
洗濯をすることが「苦」ではなくなった。
今現在、
さほど施術回数が多い訳ではないので、
ということもあるが、
空いている時に、
難なくこなしてゆける。
主婦の方なら、
当たり前のことだろうが。
そして、
あらためて「気づいた」ことなのだが、
『毎日いつどんな時でも同じ』状態でいる、
と言うことは、
推拿にとって重要な『心』の在り方だということだ。
推拿にとって『心・意・気』と言うのは、
『力』を引き出す重要な要素だ。
つまり、
施術の時に急に、
『相手に尽くす心で理解し調和し善い方向へ導く意識の柔らかく穏やかな気』
を引き出して影響力を与えよう、
としても難しいだろう。
おそらく、
他のどんな『プロ』の世界でも同じことだろう。
例えば、
こんなことがあった。
洗濯機と同じくして、
ステンレス製の物干し竿と、
プラスチック製の物干しハンガーも購入したのだが、
その新しい物干しハンガーを使って2回目、
折りたたんだハンガーを開くときに、
洗濯バサミがどこかに引っかかっていて、
バチン!と音を立てて外れてしまった。
「わっ!」と一瞬なったが、
冷静にとれた洗濯バサミを確認した。
幸い、
プラスチックが割れてしまったのではなく、
フックから外れてしまっただけで、
付け直すのにしばらく知恵の輪状態になったが、
うまく元通りになった。
この時にふっと『気づき』があった。
別に、
乱暴に開こうとしたり、
焦っていて不注意だった訳ではないが、
確かに『気』の配りようは足りなかったな、と。
しかし、
冷静に判断で来て良かったな、と。
今度からは、
状態を確かめつつ、
ゆっくり開くようにしよう。
と、
ここで、
『推拿と同じだ』
となった。
そう、
おそらく洗濯の時に、
この様な出来事で『気づく』ことになるのは、
自分の『心』の状態に『気づく』ように仕向けられたのだ。
相手に対して、
繊細に注意深く、
相手の立場になって、
相手の状態を知りつつ、
相手の変化をみながら対応していく。
日々の、
全ての事から学べる。
だから、
生きてること全てに意味を感じる。
移動で歩いている時にも、
両足が交互に地面に付いていることを感じ、
左右の体重の移動を感じながら歩く。
それは太極拳と同じで、
しかも推拿に通じる。
いつでも緊張のない身体と精神状態で、
柔らかい気を意識しているかどうか。
仕事は、
その時に急に変化してやるものではない、
と思う。
コンビニの「店員」さんも同じだ、
近くのファミマにいらっしゃる女性店員なのだが、
ぼくは『プロ店員』と思っている。
この方は、
とってつけたようなわざとらしいかしこまり方もないし、
無遠慮ということももちろんなく、
落ち着いているが動作が遅い訳でもなく、
どんな場面でも焦らずにいてお客にイライラさせたりしない。
おそらく、
普段から同じなのだ、
毎日いつどんな時でも同じ心持なのだ。
実は、
この女性店員さんは、
『すいな健康院』の近くのファミマ(現在は閉店)の頃から働いていらっしゃるので、
もしかしたら本部の社員さんなのかもしれないが、
明らかに『プロ店員』であることに相違ない(笑)
制服を着たら「店員」になって、
制服を脱いだらすぐに「部外者」になるような人がいる。
アルバイトなら仕方ないのかなあ、
でも社会人としてはどうなんだろう?
あ、
話が広がり過ぎたけど、
そう言うことです。
プロは、
毎日いつどんな時でも同じプロであるのです。
いつでも修行、
なんでも修行、
でもそれが好きでやりたいから、
その道のプロなんですよね。
楽しくがんばりましょう。
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